『NANA』が教えてくれた、“モノ”の価値と生きる実感

どーも、奥野です。

「モノを持たない暮らし」
「1日着回せる服は3着でいい」
「必要最低限で豊かに生きる」

こういった“ミニマリスト”の思想が、まるで「正解」のように広まっています。

でも私は、この考え方に強く異を唱えたいと思っています。

持たない暮らしでは、人生の深さには届かない。



●『NANA』の世界に“必要最低限”なんて言葉はなかった

20年前に社会現象となった矢沢あいの『NANA』。
登場人物たちの部屋は、どこも雑然としていました。
モノが多い。服もCDも煙草の箱も、雑誌も散らばっている。

でも、それが彼らの“生き方”そのものだった

・過去の傷を忘れられないから、捨てられない。
・誰かからもらった品にすがることで、寂しさを埋めていた。
・衝動的に買ったモノが、その瞬間の感情の証だった。

「整った部屋」よりも、
「散らかった部屋にあるリアルな痕跡」のほうが、よっぽど豊かで読み手の心を動かしました。



●ミニマリズムは“美しい思考停止”である

ミニマリストはこう言う。

「本当に必要なものだけで生きればいい」
「モノを持たなければ、心が軽くなる」

でも、それはあまりにも脆い美学だと私は思います。

なぜなら、人生には、

  • 意味が分からないけど手放せないもの

  • 二度と使わないと分かっているけど捨てられないもの

  • 説明できないけど好きなもの

が、たくさんあるからこそ面白く、感情的で、人間的で、重くて、美しいのです。



●「スッキリしてるね」と言われる部屋には、ドラマがない

私は過去に、ミニマリスト的な生活を取り入れようとしたことがあります。

・家具を捨て、服を減らし、装飾をなくす
・本も電子化し、何もない机にしてみる

・仕事はPC上で完結し誰に合うこともない

結果、手に入れたのは「効率」ではなく、空虚さでした。

何もない部屋で、私は何のために働いているのか分からなくなった。

人に「スッキリしてて気持ちいいですね」と言われても、
そこに“私の人生の跡”は何ひとつ残っておらず空っぽな人生が積みあがっていくだけでした。



●モノは感情のカプセルだ。捨てるな、溜め込め。

人は感情を忘れる生き物です。
でも、モノがあれば思い出せる。

・あのライブに行った日のTシャツ
・もう着ていないけど、夢を語っていた頃のスーツ
・落ち込んでいた日に、友人がくれたマグカップ

それらは、人生の記録であり、心の再生装置でもある

「捨てたモノの数だけ、心は空っぽになる」
私はそう信じています。



●持つことでしか得られない“重さ”が、人生を深くする

軽くて、薄くて、片付いていて、無駄がなくて――
そんな暮らしは、心地いいかもしれない。

でも私は、
重くて、濃くて、余計なものが多くて、雑味だらけの人生を選びたい。

なぜなら、そこにこそ「人間らしさ」があり、
それこそが、誰かと本気で繋がれる“体温のある生き方”だと思うからです。



●ミニマリズムは、人生を“美しく死なせる”思想だ

ミニマリズムは静かで、美しい。
でもその静けさは、生きることを諦めた人の静けさにも見える。

私は、もっと散らかしていたい。
もっと溜め込んでいたい。
もっといびつで、泥くさい生き方を肯定したい。



●あなたの部屋に、“物語”は残っているか?

・きれいに整った部屋
・削ぎ落とされた生活
・迷いのないラインナップ

それがあなたのすべてを語ってくれますか?

私はむしろ、
「この部屋には説明できないものがたくさんある」
そう言える人でありたいです。


皆さんの気づいたら無くなっていたもの
気づいたらそばにあったもの教えてください。