「人間は“使える道具”ではない」――ムラサメ研究所が私たちに突きつける、人材育成の倫理

どーも、奥野です。

会社で人材育成について語るとき、「どう伸ばすか」「どう戦力化するか」といった視点ばかりが前面に出てきがちです。
でも私は最近、ふと疑問を感じるようになりました。

「育成って、“人を戦力化する”ことだけなのか?」

この問いにぶつかったとき、私の頭に浮かんできたのが――
『機動戦士ガンダム』に登場するムラサメ研究所でした。


●人を“使える存在”にするためだけの育成

ムラサメ研究所とは、地球連邦軍が強化人間を開発するために設立した非人道的な施設です。
人工的な処置を施し、人間を兵器としての能力に最適化する。
感情を抑制し、命令に忠実に反応させる。

たしかに、彼らは“使える兵士”にはなったかもしれません。

でもそこにあったのは、人格の抑圧、個性の排除、そして精神崩壊という代償でした。

これをSFの世界の話だと笑うことが、果たしてできるでしょうか?


●“成果を出せるようにする”ことと、“その人を壊さずに育てる”ことは違う

ビジネスの現場でも、
「早く即戦力に育てる」
「使える社員にする」
「数字で評価できるようにする」

そんな目標を掲げることが当たり前になっています。

しかし、それはときに、

  • 本人の興味・関心の無視

  • 無理なプレッシャー

  • 感情の切り捨て

  • 組織の都合による価値観の上書き

という形で、ムラサメ研究所的な“強化”に近づいてしまうのです。


●人材育成の目的は、“能力開発”ではなく“自己実現”であるべきだ

私は、人材育成の本質は「会社にとって使える人をつくる」ことではなく、
その人が自分の力を“活かして生きられるようになる”ことだと考えています。

ムラサメ研究所で育ったフォウ・ムラサメは、
兵器としての役割を果たしながらも、「人間として生きたかった」という本音を漏らします。

育成とは、ただ「何かをできるようにする」ことではなく、
その人が“どう在りたいか”を尊重する行為でなければならない。


●あなたの会社の“育成環境”、ムラサメ化していませんか?

・目標未達の社員に「感情を排除しろ」と言っていないか
・個性より「成果」だけを重視していないか
・“結果がすべて”という思想で追い詰めていないか

それらは、表向きは教育に見えて、
実は“改造”や“抑圧”になっている可能性がある。

だからこそ、私たちは育成の場に「人間性を守る構造」を意識的に組み込む必要があります。


●「戦わせる」のではなく、「選ばせる」育成へ

フォウは「私は人間なの?」と問いました。
ロザミアは「お兄ちゃんがいないと不安」と漏らしました。

どちらも、“戦力”として見る限りでは不安定で不完全かもしれない。
でも、“人”として見るなら、彼女たちはまぎれもない“生きている存在”でした。

育成とは、「何ができるようになったか」ではなく、
「その人が、自分の意志で何を選べるようになったか」で語るべきではないでしょうか。


●人材育成とは、「人格を信じること」である

ムラサメ研究所は、人間の尊厳を無視した“最悪の育成モデル”です。
でもだからこそ、私たちに問いを突きつけてくれる。

「あなたの育成は、誰のために、何のためにあるのか?」

私たちは人を“使えるようにする”のではなく、
“活かされる人に育てる”ための支援者でありたですね。